息子へ

父親から息子へ伝えたいことを少しづつ残したいと思います。

小学校のころ

きょうはきみもママちゃんもコウセイくんたちとボルダリングかなんかをしに遊びに行ってしまったので、家でひとりでのんびり本を読んだりしています。呉明益の「歩道橋の魔術師」という小説を読み終わった。台湾の戦後の中華商場を舞台にした、主人公の少年時代の記憶にまつわる物語だ。(とても面白かったから、機会があったら読んでみて。)

 

そこでなんとなく自分の子どものころが思い出された。きみは4年生になったけど、ぼくは3,4年生のころの記憶ははっきりしない。クラスの子の名前もあまり出てこない。クラスは違うけど近所に住んでいる子と遊んでいたからだろうか。学校が終わって家に帰ると(家まで歩いて3分だった!)勝手口にランドセルを放り投げて、すぐさまミヤザキくんちに行ったりした。家の真ん前は畑で、大根やキャベツが植わっていた。だからチョウチョの卵や青虫はいくらでも観察できた。ミヤザキくんちは畑の向こうで、今のぼくの仕事場みたいな古い木造平屋だった。玄関をガラガラと開けるとすぐに居間で、その家特有のにおいがしてくる。

 

畑のすぐ東側は豊平川の堤防で、車なんかはしっていないただの「土手」だった。そこではバッタと捕ったり、トカゲを追いかけたりした。冬は小さなスキー場になった。川原にもすぐ行けたから、石を投げたり、ドジョウを探したり。今思えば、けっこう危険な遊び場だ。きみみたいに、遊びに親が付いてくるなんてまったくなかったから(どこの家でも)、郁子さん(パパのママ)は何も言わなかったけど(言ってたけど、ぼくが聞いてなかったのかも)いつもハラハラしていたんじゃないかなあ。ぼくなら、とても心配で、何しちゃダメとか、どこには近づくな、とか言ってしまうね。いわれる方はやんなっちゃうかもしれないが、どうか許してほしい。親になって初めて自分の親の気持ちがわかるってよく言うけど、これは本当です。こんなことがわかってたのしいね。きみのおかげです。感謝します。

 

2022年4月10日

ゆめ

ゆめを見た。

 麻美さんの車で、ばあちゃんちへ。車を道路わきに止めてちょっとした丘の小径をのぼる。道はけものみちみたいで、草ぼうぼうだ。思っていたところに家に入る脇道がなく、しばらく歩くと丘を越えてしまい、何かの工場みたいな敷地に入ってしまった。この工場は「前にゆめに出てきたところだな。」と思う。廃墟みたいでかっこいい。

 工場を抜けると家があって、裏口から入るとばあちゃんちだった。仏間は以前なかったガラス戸で仕切られている。そのガラスは昔の「型ガラス」で、見たこともない模様がキラキラしている。中には知らないおばさん(親戚らしい)がいて、ここに住むことになったという。

 

 寮みたいなところに住んでいる。部屋は5階だ。1階に降りてまた部屋に行こうと思って上ると部屋に行けない。部屋に行くにはそのためだけの階段が別にあるのだ。

 

 人のゆめの話を聞かされても退屈だろう。何がどうおもしろいのかさっぱりわからない。本人もわかっていないのだから、他人がわかるはずもない。せいぜい夢判断する心理学者のつもりになって、「これは何かから生まれ変わろうとする欲求だな。」とか「幸運の兆し有り。」とか頭の中で考えていると、それなりにおもしろいかもよ。

 ゆめに出てくる空間の美しさ、おもしろさは、普段考えようと思ってもとても思いつかない。登場する知らない人物の複雑なキャラクターや、自分との関係性も、想像を超えている。ゆめが自分の脳の記憶の整理だとすれば、自分の想像力をはるかに超えるビジョンは出てこないんじゃないかなあ。自分のではない、どこか違う場所にあるパソコンにアクセスして情報をダウンロードしているような。日本人共通のスーパーコンピューターとかがあって、パスワードを知っている人だけがアクセスできる。その先にはアジア共通コンピューター、世界共通、地球共通、宇宙共通・・・

 

2022年4月8日

人称

 さて、手紙を書き始める前に最初に決めなくてはならないのが、「人称」の書き方だ。まず手紙の受け手である君を何て呼ぼう。

 

あなた

普段会話で「それはあなたのせいでしょ」とか使うけど、手紙だとなんだか恋人みたいかな。

 

おまえ

男らしい父親ならいいけど・・・

 

YOU

冗談です。

 

響きはいい。字面はかたい?

 

きみ

J-POPの歌詞に出てきそう。でも男女問わず使えて、親しみもある。

じゃあ きみ にしておくか。

 

そして書き手

 

手記っぽい

 

オレ

っていうキャラじゃない。

 

これ好きなんです。村上春樹

 

ぼく

まずはこれでやってみるか。そのうち変えればいい。

 

ぼくはからきみへの手紙

息子へ

親愛なる息子てんきくん

 

君は今小学校3年生だ。僕がどんな仕事をしているのか、なんとなく「たてものをつくっているひと」とは思っているだろうけど、ちゃんとはまだわかっていないだろうね。自分が9才だった時を思い描いてみれば、父親がどんな思いで仕事をしていたか、何を考えて生きていたかなんて、まったく考えもしなかったに違いない。だから君もそうだろうし、それでかまわない。親について考えるなんて、いったいいつ頃だろう。もちろん人によって違うだろうけど、例えば20才?30才?40才? その頃にちゃんと面と向かって酒でも飲みながら、僕の人生を語ることができたら、とても楽しいだろう。それが一番の夢だ。でも、その時僕がまだこの世にいるかはわからない。(もうそれなりの歳だからね)

 そこで、少しづつ僕が何を考えて生きているのか残しておこうと思いついた。元気だったら直接話すよ。でも僕がいなくても君が僕について何か知りたいと思ったら、その時はこれを読んでほしい。(ママに聞いてもけっこうたくさん話してくれるとは思うけど)

 これを読んでいる君は今いくつなんだろう。きっと世の中の役に立つ人間になっている。予言しておくよ。君は人を愛し、人から愛される人間だ。心から感謝しています。私とともに生きてくれたことを。

 

2021年11月28日 志ちやにて